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「塞王の楯」を読んだ!~父のこと、ウクライナのこと 2202.3.2




 今村翔吾の「塞王の楯」を読みました。今年の直木賞受賞作品です。私が図書館にリクエストしたのは、受賞が決まるずーと前の新聞の広告を見てからでした。最高の楯としての石垣と矛としての鉄砲の戦いの小説であるとの紹介でした。


 私の父親は、石垣職人(石工)でした。それも結構腕のいい職人であったと思います。私がある出張所の所長の時、地域の消防団の団長さんたちと仕事が終わり、飲んでいたのことでした。私が、父親のことを石工であったことを言うと、その消防団長さんは造園業の社長ということもあって、「石工なら、山口県で一番の石工を知っているかね。山根っていうんだ。」と、誇らしげに言います。「実は、その山根という石工は、私の親父です。」というと、「なぜあんたは、こんなところで出張所長をしておるんかね。親父さんの跡を継がんにゃ」と真剣に言います。跡を継ぐ云々は良しとして、父のことをそんな風に今も思ってくれる人がいるのは、嬉しく思いました。


 父は、阪神大震災の年1975年に私の今の年66歳で亡くなりました。生前の父は、石工として県内を中心に多くの石垣を作ってきました。一番は、田布施町にある宗教団体の石垣ですが、身近に観れるものは、山口市の県立美術館や県庁の石垣群です。上の写真は、美術館の正門の石垣です。下の写真は、我が家の石垣です。(この時、父は癌で仕事はできなかったため、弟弟子の方が工事をされ、父は現場の監督をしました)父の石垣の特徴は、布積み、谷積みとも一つ一つの石に加工を加え、積みあがったときには、その陰影が美しくなることと、角の直線、反り返りの美しさにあると思います。(私も高校時代3日連続で父の仕事を手伝ったことがあり、いろいろ話を聞きました。「塞王の楯」の穴太衆の城の石垣の組み方は、基本は野ずら積みです)


 「塞王の楯」のクライマックスは、関ケ原の戦いの前夜の東軍に組みした京極高次の滋賀大津城を西軍の毛利元康や立花宗茂が攻める場面です。圧倒的な兵力の差がありながら、穴太衆飛田屋の匡介は、飛田屋の技術屋集団と大津城を石垣を楯として守ります。相手方は、同じ滋賀の鉄砲職人集団国友衆の源九郎たちが最新式鉄砲を矛として、攻めてきます。関ケ原前夜ということもあり、数日で攻め落とさなければいけない西国無双と言われた立花宗茂たちは、大津城攻めに手間取り、結局関ケ原に間に合わなかったのです。


 この本を読んだすぐ後に、ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。「塞王の楯」に似ているな、京極高次や飛田匡介ならどうするだろう?規模も時代も違うかもしれませんが、民に多大の犠牲が伴うのは同じです。この愚かな戦争を一時も早く辞めさせければならないと、「塞王の楯」が教えているような気がしてなりません。


 



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